心の「ちがう」に向き合うシリーズ 導入の回
「何か違う」「違うのは分かるけどそれ以上言葉にできない」あなたへ。
自分の心が分からない、自分の気持ちが分からないあなたへ。
自己理解を深め、自分の心に向き合う考え方を一緒に模索するシリーズ。
心は何を言う?
頭と心が「カイリ」している。漢字で書くと「乖離」である。
この漢字、何やら漢字の「千」と「北」が合体したような形だ。いやそれとも「北」の真ん中に「千」が突き刺さっているのかな。
どのみち、手で書いてみると「北」が分断されているなあと感じるのだが、これは私だけだろうか。
――ハァ?
――マジでどうでもいい。
――欲しいものじゃない。
そんなものを求めてこのページを開いたんじゃない。
一体この人は何が言いたいのだろう。
こんな風にちょっと思ってたのとは違うなあという話をされた時、あなたの心は何と言うだろうか。
ここで敢えて「心は」と問うてみるのは、「頭は」何とでもいくらでも言えるからだ。
何なら、「ちょっと思ってたのとは違うなあ」という感想さえ頭が上手に処理した結果なんじゃないかということだ。
あなたの頭はあなたが思っている以上に非常に優秀。
今目の前で繰り広げられている事象に対して即座に解釈を与えることができる。
そして、心が仮に違和感を感じても、それがはっきりと言語化される前に頭がそれはなぜなのかを考えることができる。
ここでの解釈とは、その場を壊さないために、上手くやり過ごすために理性が働いた結果出てくる「考え」だ。
「この人は何を言いたいのかな?」「きっとこういう導入をしたのには理由があるはずだ」「今後の伏線なのだろうか?」
そう言ったものは今目の前で、「なんだかちがう」現象が起こったことによって生まれた解釈だとしたら?
これからの話は、「心が分からない」時に読んでほしい。そして少しでも自分自身をより深く理解する助けにしてほしい。
自分の心が分からないひと
心は何と言うか。心が何を感じるか。
そう問われた時に、即答できる人もいる。「つらい」「悲しい」「嬉しい」「好き」と。
しかし即答できない人もいる。あるいは即答できない時がある。
私は即答ができないことが多い。心が何を感じるか? ――分からない。
尋ねてみても応答しない。
そういう時頭の中は白くなる。緊張して真っ白になるのではなくて、靄の中にいるように白くなる。言葉として何も出てこないのだ。
こういう時、じゃあそもそも心がないだけじゃないのか? という考え方もあるが、違う。
心はあるのだ。あるけど表に出ない。
「確実にありはするけれど、実体は全く姿を現さない」存在なのだ。
だって、心が本当にないのなら即答できる気がするんだ。「何も感じない」と。
心はある。あるのだけど、表に出ない。
こんな悩みを持つ人も一定数いるんじゃないかな。
リアクションが薄いとか。
本当に嬉しいと思ってる? 楽しんでる? とよく人に言われるとか。
――あるんだよ! ほらここに!(でもどこに?)
――思ってる!
思っているのだけど、平均的な温度で表に出てこない。平均的な熱量では出てこない。
そしてそのこと自体もなかなか言葉にして言えない。
それも心がどこか遠くにいて、応答するのに時間がかかっているような状態かもしれない。
「あるんだけどね」って、やるせない思いをしたことがあるんじゃないかな。
頭と心が離れていると、色んな事が歪むんです
自分の心が分からないことは頭との距離ができている状態とも言える。
頭と心が乖離している。
これによって色んな歪みが発生している。
「感情が表に出ない」、「気持ちを言葉にするのが遅い」、「行動に歪みが生じる」、「自分を責める」、「否定的な反応」、「常に自信がない」、「二重人格」など、頭と心の乖離によって説明できる事象が多いのだ。
私はこれに自分で気づくのにおよそ30年かかった。
そして最も驚きというか、自分の中で発見だったのが、
「ネガティブの本質は頭と心の乖離なんじゃないか」という気づきだった。
頭と心の乖離があるから、ネガティブになるのだ。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく