心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
心の声が聞こえないと気づく時
私の場合心の声が聞こえない原因は、子供の頃の環境や親との接し方にあることが自己分析で分かってきた。
ところで、何でそのことを今分析するに至ったのか。
パートナーとお別れしたからだ。
陳腐なきっかけ。
そして別れの原因の一つは私の言動だった。
自分で嫌に思っていた部分や、自分で人間としての欠陥だと認識していた部分をしっかり指摘された。
厳密に言うと、自分でも嫌だと認識しておきながら、あまり改善できていなかった部分が、その人の前でたくさん出てしまっていた。
おそらくそういう面にその人は付き合いきれなくなったと私は解釈している。
だから、猛省したし深く自己理解に努めた。
自分の悪いところ、何でそんな行動をしてしまうのか、もっとどうにかできたとか、何回も何回も考えては泣きじゃくった。
だいぶ引きずってはいたし思い出すのはつらい。
何で心から好きなのに離れなければならないのだろう。
そういう定めだったのかと頭は宥めようとするが、心はなかなか理解してくれない。
数週間かけて原因だとかを考えて自己分析するうちに、私はふと気づいてしまったのである。
自分の心の声が全く聞こえなくなっていたことに。
当然失いたくない人を失ったのだから、そのショックで心が何も言えなくなるという可能性は大いにある。
大いにあるとしてもだ。
心に何を問うんだろうという疑問
そういえば、私は生きてきてそういう風に心の声を聞いていたかとふと思い返した。
聞いた記憶があまりない。
心がその瞬間何を望んでいるか、無視してばかりだった。
だから確かにやりたいこととか今この瞬間したいことを聞かれても、
なんかすごい自制心の強そうなことしか答えられない。
「やりたいことや目標はある。だから今はこれをしなければならない」
これって頭の言うことなんだよね。
心に問うって何?
どう聞いたらそれって答えが返ってくる?
無視をされ続けた結果心は本当に閉じこもってしまっていた。
時たま、堰を切ったように泣き出したりとげとげしくしたり愛を訴えたりするのだが、大概言葉にはならないのだった。
今もそうなのは、大好きな人を失ってショックだから。
本当にそう?
パートナーを失ったから?
おおもとを辿りまくって気づいたこと。
――子供の頃からだよね?
その通り。
心の声を解放しなくなったんだよね。なぜ?
――大好きな人が機嫌を悪くするから。
親との関係がずっと尾を引いていた。
自分を顧みる
原因をたどることはとても勇気のいること。
そして根気のいること。
もしかしたら思い出したくないことを思い出すかもしれないから。
それでも人が本気で自分を顧みるのは、心が良くも悪くも大きく揺さぶられたことがきっかけだ。
だから自分にとって大きなことが訪れた時、自分を顧みるチャンスだ。
別れたから忘れよう。
こんなやつと離れられてよかった。
つぎつぎ。
それは大事。
でもね、完全に忘れる前に自分を顧みたい。
とんでもない野郎と何か間違って付き合ってしまってそこからようやく逃れられたのならまた違うのだろうけど、
何かが合わなくて、何かが嫌になってその人と離れる選択をした。
その場合人を失うということに対し、自分は少なからずその原因を作ったはずだから。
その自分の言動の根底にあるものがたとえ自分起因で身についた価値観じゃないとしてもね。
自分の言動の理由とか根本的な価値観とかを知るいい機会にはなるから。
少なくとも私は振り返りまくって自分の状態を知れたし自分の根本的な行動パターンを深く分析できてきた。
まだその途中。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく