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自分のことを自分が一番理解してあげるための部屋

リアクションが薄いことに対する考察 リアクションに悩むあなたへ(1)

リアクションに悩むあなたへ

 大丈夫。

 あなたの価値はあなたが決めるから。

 

温泉に浸かりに行ってるだけ

 温泉でキャッキャと騒いでいる人がいたら迷惑よね?

 それが答えです。

 

 温泉に入った時にじっくりと温かさが染み渡っていく感覚やその温泉の情景が浮かぶだろうか。
 
 リアクションが薄い人って温泉に浸かりに行ってる説を提唱するね。


 このリアクションは人から何かしてもらったときに、ゆっくり、じわじわと頭からつま先まで嬉しさを染み渡らせるような反応なの。

 これはまさに温泉に浸かってあぁーいいなぁってなっている時と同じ。

 想像してみて。

 温泉でキャッキャしてる人はいないでしょ。

 

 温泉に浸かって目を瞑る人を心がないと思う?

 心の中ではものすごい感情が渦巻いて、温泉に浸かりに行きさえしてるのに。

 心がないのではなくて、そういう反応のタイプなだけ。

 

心があるのかないのかは重要

 本当に心が動かないからリアクションしないのか、

 心は動いてるけど表に出なくて温泉に浸かりに行ってるだけなのか、絶対にここは分けて考えたい。

 この記事で話したいのは後者の場合。

 

リアクションの評価尺度を捨てたい

 もしも誰かに、あなたのリアクションは薄くて、嬉しいのかそうじゃないのか分からないなんて言われたりしたら。 

 もしもあなたの周りの人がリアクションが薄くて、どうしたものかなと困っているのだとしたら。

 

 まずお互いに一旦自分の尺度は捨てよう。

 

 薄いって思うのはあくまでそう思う人の尺度でしかない。

 リアクションが薄いと言われて自分を責める必要はないし、人のリアクションを勝手に評価する権利はないの。 

 こういう時は、お互いにじっくり時間をかけて話し合って、お互いを理解する時だと思うの。

 

 お笑い芸人さんのようなリアクションの良さってのは確かにある。

 言葉にすると「大きい」ことが良い。

 もし数値化するとしたらめちゃくちゃ大きな値にはなると思うけど、リアクションにおいて大きな値だから優れていることはないわけ。

 大きいかどうかでリアクションの良し悪しは決まらないの。

 

 大きいことが良いと思う人がいる、ただそれだけ。

 

 お互いの尺度の問題。

 だから反対に、温泉に浸かりに行ってるリアクションもそういうスタイルの一つとして成立する。

 

まず話そう

 リアクションが薄いって言ってくる人も、きっとリアクションが返ってこなくて寂しいとか悲しいなとか思っているのだから。

 理解してもらおう。温泉に浸かりに行ってるというリアクションを。

 決して相手が嫌いだから薄いんじゃないと。

 表面に見えるものが薄いからって中身まで薄いかどうかは分からないでしょ。

 

 それをたくさん話して理解してもらっても、

 それでもなお、リアクションはちゃんと欲しいよってなるんだったらその時初めて、リアクションをもっと表に出してみることを考えよう。

 理解してもらえるだけ良かった。

 理解できないからちゃんとリアクションして、というのとはちょっと違う。

 

 ちゃんと自分の心に聞いて。

 自分の心も納得しているか聞いて。

 この時、心が嫌って思うのだったら一旦無理に変えるのはやめよう。

 こういう時って人は変わらないの。

 人が変わりたいと思っても変わらない理由は、その人の心が変わることを受け入れてないから。

 人間関係は、自分の心とのすり合わせでもあるんだと思う。

 

自戒も込めて、「話そう」と記す

 だから、話そう。

 話してそれでも変わる必要があるならその時心に聞こう。

 そしてまた話すの。

 もしリアクションが分かりづらいことで寂しい思いをさせているなら申し訳ないのだけど、私の心がまだ追い付いてなくてね、って。

 時間をくださいって。

 私があなたと一緒にいるために、時間をくださいって。