心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
行動の歪み
家族のように信頼している人だからこそ行動が歪むらしい。
歪みとは例えばどんな状態か。
好きだと思う人ほどつらく当たってしまう。
好きな人ほど喋らない。
甘えたいけど甘え方を知らない。
あとは、いわゆるツンデレ。
または、言っていることとやっていることが一致していないこと。
これらを頭と心の乖離や私の場合家族との関係から考えることができる。
行動が歪む人は一見ちゃんとしているように見える
例えば仕事ではちゃんとしている人だ。
仕事をする人には軒並み真面目でいい人だと思われる。
家族や恋人になると違う。
もう家では外での5分の1くらいしか喋らない。
どちらが素なのか分からないくらい外と内での口数が違う。
この、好きな人とそこまででもない人の間に大きな違いが生まれている。
何か。
自分が心を許しているかいないかの違いだ。
心を許していないときほど喋り、心を深く許すほど喋らなくなるのだ。
逆じゃんと思う人もいれば理解できる人もいるのではないか。
心を許してないときほど喋るのは、頭が勝手に言葉を生成して喋っているからだ。
心に比べたら頭は、誰の頭であってもとても優秀で、驚くことに心や感情の代行をやってのけてしまう。
ちゃんとしている理由は心を封じているから
例えば私が仕事ができる理由は心を閉ざしていて頭でしか処理しないからだ。
実質心は必要ない。
だって頭が心を代行できるのだから。
心で判断すると嫌だなとか面倒だなと感じられるだろうことも、頭が処理すれば問題ない。
その相手が言っていることには理由があるだろうと推測できるから。
そして相手がどんなに嫌で面倒なことを言おうが、仕事のパフォーマンスに影響しないのなら関係ない。
もしその言葉が自分たちの業績に影響があるのなら多少は問題だけど、でもそれも結局問題解決の一つにしかならない。
問題を解決するためならこちらから喋る。
もちろん緊張はするけど、問題になっているんだから早く解決しないとだもの。
そうじゃないと誰かには迷惑がかかるんだから。
そういうスタンスで仕事をしてきたからそりゃ仕事はできた。
心を封じても平気だった
心を平気で封じられる人間で問題なのが、心をいつ開くのかということだ。
結論から言うとなかなか開かない。
プライベートでも会いたいと思うほどの人に対してだけ徐々に氷が解けていくように心が開いていく。
そして氷が解けるとおそらく理性も溶けて行って、問題解決を求める脳みそじゃなくて、もっと純粋で不器用で繊細な感性がそこにある。
もの凄く不器用だ。
そして頭が言葉をでっちあげて沈黙を補完しているのだけど、それじゃ補完しきれないくらい口数が少ない。
まあでも仕事ではちゃんと喋れるけどプライベートは意外と大人しい人なら一定数いる気はする。
その中で本当は心の声が分からない人がどのくらいいるだろうか。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく