心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
行動の歪み
家族のように信頼している人だからこそ行動が歪むらしい。
歪みとは例えばどんな状態か。
好きだと思う人ほどつらく当たってしまう。
好きな人ほど喋らない。
甘えたいけど甘え方を知らない。
あとは、いわゆるツンデレ。
または、言っていることとやっていることが一致していないこと。
葛藤したままのっぴきならない状況を作るという歪み
大変恐縮だが例を示すため私のエピソードを挙げる。
かつてのパートナーが私の言動で嫌だと話してくれたことの一つだ。
ある日私は知り合いと食事に出かけた。
その席にパートナーの彼も来ることが、当日行ってみて発覚した。
共通の知り合いなので我々両方呼んだらしい。
終電間際までその会は続いたが、パートナーの家に泊めてもらえばいいかなとぼんやり思っていた。
何となく、このまま自分の家に帰るのは嫌で、もやもやして、葛藤の末何も言葉にできず終電を逃した。
もちろん「泊めてもらえますか」とお願いはした。
彼は別にいいけれどという感じで答えた。
さて、その会から時が経ち、彼は当時のことが凄く嫌だったと私に語ったのだ。
「わざと終電逃したでしょ」と。
私は心底驚いた。
仮にもお付き合いしている仲なのに?
同時に、そんなに不快な思いをさせてたことを申し訳なく思った。
私は謝罪と共に、「付き合ってる彼氏の家に泊めてもらえばいいと思って、終電があることは知っていて逃した」と正直に言った。
そして「そんなに嫌だったなら断ればよかったのに」と少し反撃したが、
彼は「周りに知り合いがいたから断れなかった。断ったら知り合いが気遣うでしょ」らしい。
落ち着いて解釈しよう
落ち着く前に正直に言おう。
私はとっても傷ついた。
ものすごく人格否定をされた気分だった。
嫌な思いをさせたのは本当にごめんなのだけど、まじでそんなに嫌ならその人は断るべきだった。
断っていい案件だ。
それに知り合いに気を遣わせたくないのなら、その知り合いと別れた後に、「本当はね」と言って正直に打ち明けて拒めばよかった。
それを、「わざと終電を逃したよね」と私の行動だけが悪いように言われるのは筋違いだ。
でも。
確かに私が悪い。
事前に頼んどけばよかった。
当日の席でこそっと頼めばよかった。
その人が嫌に思ったのは
「付き合ってるならいいよねという甘え」があったこと。
「わざと終電を逃した」こと。
(違ったらごめんなさい。)
私はそう解釈した。
その話を受けて他責で終われるほど強くなかった。
そんな行動を取るのはなぜ?
正直私には、付き合っているならばいいんじゃないの、という考えはあった。
付き合ってないなら別だよ。
付き合うってそれくらい甘えたいことなんじゃないの? っていう。
逆の立場なら凄い嬉しい。
そしてね。
わざと終電を逃すのはなぜか?
――大好きな人と少しでも長い時間一緒にいたかっただけ! 好きだから! 甘えたいの。
――そのためなら終電なんて喜んで逃すよ! そうでしょ?
私の心の根底にあったのは、「大好きな人と一緒にいたい」という純粋な愛情だった。
「わざとだよね」と言われて傷ついた。
わざとじゃない。
いや、行動結果はわざとそうした、になるのだが、動機は違う。
動機は、純粋な愛情だ。
心にそういう純粋な「大好き」という気持ちがありながら、行動としては「黙って終電を逃して人の家に泊まらせてもらう」になってしまう。
これが行動の歪みだ。
強くない、私
何でこうなんだろね。
このエピソードを思い返しては自分が痛々しすぎて泣いた。
後から思い返してみて、根本的な気持ちは純粋な愛だったことが分かってきた。
こういう不自然で後で痛々しくて泣けてくる行動ってよくある。
自分の心の声がちゃんと聞こえる状態なんだったら、そもそも大好きなパートナーに会った瞬間に言えるんだろうな。
「おうち泊めて」って。
「付き合ってるならいいよねという甘え」について次回で掘り下げる。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく