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行動の歪み 心の「ちがう」に向き合う(10)

心の「ちがう」に向き合うシリーズ

 自分の心が分からない時に読んでほしい。

 

行動の歪み

 家族のように信頼している人だからこそ行動が歪むらしい。
 歪みとは例えばどんな状態か。
 好きだと思う人ほどつらく当たってしまう。
 好きな人ほど喋らない。
 甘えたいけど甘え方を知らない。
 あとは、いわゆるツンデレ
 または、言っていることとやっていることが一致していないこと。

 

葛藤したままのっぴきならない状況を作るという歪み

 大変恐縮だが例を示すため私のエピソードを挙げる。

 かつてのパートナーが私の言動で嫌だと話してくれたことの一つだ。

 

 ある日私は知り合いと食事に出かけた。

 その席にパートナーの彼も来ることが、当日行ってみて発覚した。

 共通の知り合いなので我々両方呼んだらしい。

 終電間際までその会は続いたが、パートナーの家に泊めてもらえばいいかなとぼんやり思っていた。

 何となく、このまま自分の家に帰るのは嫌で、もやもやして、葛藤の末何も言葉にできず終電を逃した。

 もちろん「泊めてもらえますか」とお願いはした。

 彼は別にいいけれどという感じで答えた。

 

 さて、その会から時が経ち、彼は当時のことが凄く嫌だったと私に語ったのだ。

「わざと終電逃したでしょ」と。

 

 私は心底驚いた。

 仮にもお付き合いしている仲なのに?

 同時に、そんなに不快な思いをさせてたことを申し訳なく思った。

 私は謝罪と共に、「付き合ってる彼氏の家に泊めてもらえばいいと思って、終電があることは知っていて逃した」と正直に言った。

 そして「そんなに嫌だったなら断ればよかったのに」と少し反撃したが、

 彼は「周りに知り合いがいたから断れなかった。断ったら知り合いが気遣うでしょ」らしい。

 

落ち着いて解釈しよう

 落ち着く前に正直に言おう。

 私はとっても傷ついた。

 ものすごく人格否定をされた気分だった。

 

 嫌な思いをさせたのは本当にごめんなのだけど、まじでそんなに嫌ならその人は断るべきだった。

 断っていい案件だ。

 それに知り合いに気を遣わせたくないのなら、その知り合いと別れた後に、「本当はね」と言って正直に打ち明けて拒めばよかった。

 それを、「わざと終電を逃したよね」と私の行動だけが悪いように言われるのは筋違いだ。

 

 でも。

 確かに私が悪い。

 事前に頼んどけばよかった。

 当日の席でこそっと頼めばよかった。

 

 その人が嫌に思ったのは

「付き合ってるならいいよねという甘え」があったこと。

 「わざと終電を逃した」こと。

(違ったらごめんなさい。)

 私はそう解釈した。

 その話を受けて他責で終われるほど強くなかった。

 

そんな行動を取るのはなぜ?

 正直私には、付き合っているならばいいんじゃないの、という考えはあった。

 付き合ってないなら別だよ。

 付き合うってそれくらい甘えたいことなんじゃないの? っていう。

 逆の立場なら凄い嬉しい。

 

 そしてね。

 わざと終電を逃すのはなぜか?

――大好きな人と少しでも長い時間一緒にいたかっただけ! 好きだから! 甘えたいの。
――そのためなら終電なんて喜んで逃すよ! そうでしょ?

 

 私の心の根底にあったのは、「大好きな人と一緒にいたい」という純粋な愛情だった。

「わざとだよね」と言われて傷ついた。

 

 わざとじゃない。

 いや、行動結果はわざとそうした、になるのだが、動機は違う。

 動機は、純粋な愛情だ。

 

 心にそういう純粋な「大好き」という気持ちがありながら、行動としては「黙って終電を逃して人の家に泊まらせてもらう」になってしまう。

 

 これが行動の歪みだ。

 

強くない、私

 何でこうなんだろね。

 このエピソードを思い返しては自分が痛々しすぎて泣いた。

 後から思い返してみて、根本的な気持ちは純粋な愛だったことが分かってきた。

 

 こういう不自然で後で痛々しくて泣けてくる行動ってよくある。

 自分の心の声がちゃんと聞こえる状態なんだったら、そもそも大好きなパートナーに会った瞬間に言えるんだろうな。

「おうち泊めて」って。

 

 「付き合ってるならいいよねという甘え」について次回で掘り下げる。

 

自分の心を自分自身が一番分かってあげる

 

 このシリーズはこれが目標。

 どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。

 

 つづく