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甘えから見る行動の歪み 心の「ちがう」に向き合う(11)

心の「ちがう」に向き合うシリーズ

 自分の心が分からない時に読んでほしい。

 

歪んだ行動のエピソードは前回の通り

 まとめると、「大好きなパートナーと一緒にいたくて葛藤して終電を逃したらめっちゃ嫌がられた」話。

 私にも悪い点はあった。

 今回は、「付き合ってるならいいという甘え」をキーに、甘えるって何だろうかを考えようと思う。

 

甘えるとは?

 甘えって何だろう。


 大好きだから一緒にいたいだけ。
 大好きな人に甘えたいだけ。
 家族くらい好きな人と時間を共有したいだけ。

 

 私は心ではものすごく甘えん坊らしかった。

 心では、「大好き! 一緒がいい! この人と2人きりになりたい!」と凄く相手を求めている。

 それを上手く言葉で表現できない。

 

 それに、「付き合っているなら大好きってことだよね」という謎の過信はあった。

 好きじゃないなら付き合ってないでさっさと捨ててくれよという考え方だ。

 

 これを合わせると、

「目の前に大好きな人がいるからもっと一緒にいたい。私たちは付き合っている。付き合っているなら大好きってことだ。お互い一緒にいたいってことだ。だからおうちに泊めてくれるだろう」

 という考えに至る。

 

 そしてその考えを以てした時、「黙って終電を逃して家に泊めてもらう」になる。

 もちろんこれは後付けの考察。

 当時はもやもやしてたままだった。

 

 人はそれを「甘え」だと言った。

 悪い意味の。

 付き合っているからってそういう甘えは嫌だと言った。

 

 一方私にとっては「信頼」だった。

 いい意味の「甘え」だった。

 

 裏を返せば分かると思うが、付き合ってないのだったらどうやっても終電で帰る。

 どうでもいい人相手にわざと終電を逃したりしない。

「おうちに泊めて」はよほど信頼していないとできない。

 当たり前だ。

 

このすれ違いは何なの?

 じゃあ、素直に言えばいいじゃん。

「一緒にいたいから泊めて」とか。

 言えなかった。

 その当時私は自分の心が分かってなくて、心では「大好き! 一緒がいい!」などと言う純粋な動機があったなんて分かってなかった。

 余計な葛藤をして言葉にする余裕を失っていた。

 心を封じてしまっていたから。

 そしてのっぴきならない状況が来るまで待つ。

――つまり、終電を逃せばさすがに泊めてもらえるよね、という状況を作り出した。

 

 臆病すぎるよね。

 大好きなのに。

 怖いんだよね。

「会えて嬉しい! まだ一緒がいいから泊めて」って言うのが。

 

 何で心を封じたの?

 子供の頃に親に対して失望し、黙って心を閉じるしかない経験をして、

 心をさらけ出すことを知らないまま大人になったからだ。

 本当は大好きで甘えたいけど、甘えたい!を言葉に出すと彼らが機嫌を悪くするという学習をしている。

 だから、黙って待つの。

 黙って、彼らが機嫌よく甘やかしてくれるのを待つ。

 そして大人になっても心が分からないの。

 

 頭と心が繋がってないの。

 離れてるの。

 心の表し方が分からないの。

 だから行動が歪む。

 

「言わない」甘え

「言わない」という甘えしか知らなくて、それでいいと思っている。

 

 私の甘えは上述のように歪んでいる。

「言わない」甘えは猫みたいだ。

 つらい時、しんどい時、言葉が出ないほど心が分からない時、私は黙って抱きしめて欲しい。

 黙って手を取って欲しい。

 信頼する人には分かって欲しい。

 信頼だ。

 可愛い。

 ところがそう上手くは行かないわけだ。

 もう少し、甘えについて次回掘り下げる。

 

自分の心を自分自身が一番分かってあげる

 

 このシリーズはこれが目標。

 どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。

 

 つづく