心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
気持ちを聞かれてあんまり答えられない
「最近いいことあった?」
こう聞かれたらすぐに答えられるだろうか。
――いいことって? 楽しいこと? 嬉しいこと?
「そうだよ、楽しかったなとか、嬉しかったなとか、色々ひっくるめて」
うーん。
ないな。
記憶力が悪いとかではなく、別に、気持ちがそんなに動いた日があんまりないんだよな。
沈黙。
聞いてきた相手も困っちゃう。
感情を分類、記録するのが苦手?
「楽しいという感情は20歳くらいの時に置いてきた」と揶揄する気持ちが何となく伝わるだろうか。
そう揶揄できるならまだしも、「あんま楽しいってことはないかも」と返ってきたら驚く人もいるだろうし、理解する人もいるかもしれない。
何が起こっているのか。
自分の中に問い合わせても「楽しい」というワードでは何も引っかかってこないだけだったりする。
たぶん、今目の前で起こっていることに対して、そこまで「楽しい」などを感じていないから、
記憶としても「楽しい」という見出しでは保存されていない。
だから後から検索をしても出てこない。
事実は覚えている。
ああそう言えばあの時こんなことがあったな。うんうん。それだけ。
昨日のお昼? コンビニのチキンだよ。チキンを食べた。辛いやつね。うんうん。それだけ。
そんな記憶の持ち主だとしたら、驚くだろうか。
理解できるだろうか。
大概人は出来事を感情とともに記憶する。
だから記憶していられる。
テンションが上がった時のことって結構よく覚えている。
逆に、何も心が動かなかった時のことはすぐ忘れる。
興味がない勉強の内容はすぐに忘れて、ゲームのキャラ名や強さをすぐに覚えられるのは、そこに何かしら強い心の動きがあるからだろう。
特に心が動かなくても事実を割と覚えているという場合は記憶力が良すぎるので自信を持った方がいい。
いいこと、というラベリングが必要ないのだから。
何となく人間関係が成り立つけれど記憶のラベリングがないとしたら、とても記憶力の良い凄い人だ。
あるいは、心が分からなくなってしまっているのかもしれない。
どれに分類したらいいのか分からなくて困ってしまっている。
心が上手く反応できていない?
心が動かないというのは、自分が自分の心を分かってあげられない状態でもある。
特に何も思わない。
何かを食べても、何かを見ても、何も思わない。
何となく手を動かしている。目的? 分からないけど生きるため。時間を過ごすため。
そう言われたから。
そうしないといけないから。
たぶんそれは頭の自制心。
頭じゃなくて心の奥に問いかけてみた時に、何がしたいだとか何が食べたいだとか、そういう願望が浮かぶだろうか。
私たちは毎日大小さまざまな選択をしながら生きていく。
その動機になるのは心の声だ。
頭じゃない。
頭は心をサポートするために存在する。
頭が独断で動くことはとてもリスクのあること。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく