心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
卑屈により人を傷つけた記憶
私の人間関係のエピソードを少し例に出そう。
仲の良い人が仕事でいいことがあって私に報告してきた。
しかし私は一緒に喜ぶことができなくて、自慢ですか、とリアクションしてしまった。
今考えたらこれは私のリアクションがとても悪い。
相手と一緒に喜べない、というのはとても歪んでいる。
自分の大好きな人が喜んでいるのを受け止められないなんて非情だ。
当時私は理由があってフルタイムで働いていなかった。
収入が少なくて不安だ。
おまけに私の自己肯定感は、波があるとは言えずっと低かった。
ずっと不安なんだから。
将来が何も約束されていなくて。
そんな中で一番近くにいる人が成功したらどうだろう。
正直に言って、自分と比較して劣等感を感じて余計落ち込むんじゃないだろうか。
あるいは程度の違いこそあれ、自分と比較して嫉妬するんじゃないだろうか。
「私は何も成し遂げてないのに」って。
もしくは、純粋に凄いなあとか、羨ましいな、とか、そういった感覚だったり。
自分も頑張らなきゃなという決意だったりもあるかもしれない。
私は当時それらが全部出てきた。
つまり、人の喜びの報告を受けて、私が言葉で反応を返す間に、私の中では劣等感と嫉妬と落ち込みがどっとうずまいた。
羨望や自分への激励も波にもまれながらも存在はしていた。
でも最後に残ったのは「自分なんか何もできてないな」という自己否定だった。
とにかく、ネガティブな感情だ。
その感情が言葉になった結果「自慢ですか」というわけだ。
本当にひどい人だと思う。
言い訳ももうしたくない。
でもね、自分のメンタルがぼろぼろだと人の成功が目に入ったシャンプーみたいにしみることがある。
それに私はその人の成功を尊敬する。
その一時だけは僻んでしまった。
刹那的な感情に対し
相手を肯定する言葉を探し出せなかった。
それだけ。
でもそれで人を傷つけた。
嫉妬や卑屈は自分の頭から心への攻撃
卑屈で人を傷つける時、私は心に余裕がなかった。
メンタルが落ちていた。
毎日憂鬱だった。
でもそれだけだろうか。
そもそも、メンタルが落ちていると自己肯定感が低い。
私は何でそんなに自己否定してしまうんだろう。
何でそんなに自己肯定感が低いんだろう。
「自分なんか何もできてない」、「何も成し遂げてないよね、あなたは」。「できない」。
こんな否定的な言葉を紡ぐのって、私の頭だ。
頭は現実をちゃんと理解している。
現実と理想を比べることができる。
そしてギャップがあるならある程度解決策を考えて提示できる。
「今のあなたはこうでこれが足りないから、こうすべき」を言ってあげられる。
それが少々攻撃的すぎるのだ。
どこに攻撃しているかと言うと、私の心だ。
人を攻撃する前に実は自分を攻撃しまくっている。
心を封じるまま生きると苦しい
心を封じるということは、頭で心を制圧することに等しい。
そういう時に頭は正論を突きつけ、心を屈服させるような言葉を紡ぐ。
その時の言葉が自己否定になる。
「私は何もできてない」と。
頭が心に理性的に現実を突きつけて黙らせる。
卑屈になるのはそういう攻撃が行われているから。
自分の中に親子がいて、わがままな子供を親が押さえつけて「すみませんうちの子わがままで」という場面を自作自演するようなもの。
今まで、私は卑屈や自己否定は全部自分の心と通じていると思っていた。
卑屈になるのは心から卑屈で、心からネガティブなんだと思っていた。
でも違ったみたい。
実はずっと頭と心が乖離してただけらしい。
心はずっと純粋なままで卑屈なんて知らない。
頭だけが理想とのギャップに気付いて攻撃していただけだった。
子供の時だけは心を封じても何とかなる
頭がしっかりしすぎていて心を制圧する。
本当は心は違う方向を向いているのに無視をする。
そのおかげで私は勉強は大抵何でもこなした優等生だったし現役の頃の大学受験も乗り切った。
仕事もできる。
それでいいはずだった。
今思い返してみると全部が全部そんなことはなかった。
大人になった時本当に困る。
自分の心がたまにトゲトゲになることがあるのだけど、
それを分かってあげられない。
心の暴走を宥める方法を知らない。
卑屈になる理由や自己否定する理由を
まずは自分で理解できることって
すごく大事だと思った。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく