心の「ちがう」に向き合うシリーズ
自分の心が分からない時に読んでほしい。
常に自信がない
何を言っても否定的な言葉しか返ってこない人をどう思うだろう。
「でも」「だって」「私なんか」「無理だよ」「そう言われても」「今までもそうだったしな」…そういう人はこれらがリアクションのレパートリーに入っている。
そう言った否定的な枕詞、大概は自分の頭の声である。
自分の頭が自分の心を否定して攻撃してしまっている。
常に自信がないことは、自分に矛先が行き過ぎるあまり、人の善意にも否定的な反応をしてしまうことにもつながる。
人を否定してしまったりしないだろうか。
私は天邪鬼だと自分で思うことがあるが、本稿をご覧になっている方も自身がそうだと感じる人もいるだろうか。
そして自分自身はあんまり気づかず人を否定してしまうくせに、大好きな人に否定されると傷つく。
わがまますぎるよ。
気づいたときには自己嫌悪に陥る。
その繰り返し。
大体人の意見はまず自分とどこが違うのかをポイントに聞いてしまう。
それで案の定自分の心が「ちがう」って思うから、まず否定してしまう。
「でもこうだよね」とか「私はそうじゃないかも」とか。
いいじゃん。
「ちがう」ことって悪くない。
なのだけど、たまにそれで雰囲気が壊れることがある。
同調って怖い。
正直に言えない時
度々恐縮ではあるが、私のエピソードで考えてみる。
私は子供の頃から寝つきが悪い。
他人の家にお泊まりするとなおさらだ。
これはどこか不安を抱えている時ほどひどくなる。
ある日私は友人たちとご飯を食べ、その流れで友人の家に泊まらせてもらうことになった。
私はその頃とても悲しみにくれていて、自分の家でさえもあんまり寝られない状態ではあった。
リフレッシュのために友人たちと時間を過ごしたのである。
当然友人の家でもそこまで寝られはしなかった。
翌朝友人は私に「眠れた?」と聞いてきてくれた。
彼女はとても気遣い屋さんで親切で心優しい人である。
ここで私は、心のまま正直に「あんまり寝られなかった」と答えたかったのだけど、できなかった。
なぜかというと、「寝られない」と答えたことで友人が自分の家の環境のせいだよね、ごめんねと謝ってくることが予想ついたから。
謝らなくていいのに。
こちらが申し訳なくなる。
だから結果的に「うーん」と微妙な答えを返してしまった。
続けて「いや、なかなか寝られない精神状態だから、大丈夫だよ。寝られてはないけど、大丈夫」って言った。
これは心に嘘はついてないから。
実態に沿っているし相手の謝罪も必要としてないことを先回りで制しておくだけ。
寝られないことは人のせいじゃないのだから、寝られなくても心配しないで、という気持ち。
正直に言えないけど嘘も言えない
私が実際に口にしたのはせいぜい二言くらいだが、その間にものすごい量の考慮が走っていた。
波風立てずに返事をするならば嘘でも「うん、眠れたよ。ありがとうね」などと言えるかもしれない。
でも言えない。
その人の前では心を許しているから。
しかしその心というのはあんまり上手く言葉を使えない。
だから何となく頭が嘘を言うのを引っ張って止めようとする。
こういう風に、完全に嘘を言えなくて、何となく上手く答えられないことはないだろうか。
具体的なエピソードではなくとも、人に気を遣われすぎると何となく反発してしまったり、反対に人に何かアドバイスをされても何となく反発してしまったり。
それで後悔したことはないだろうか。
その時、心は何と言っただろうか。
分からないことが多いのではないだろうか。
私は分からない。
ただ、「ちがう」と言うことだけは感じ取っている。
心が100のうち2だけ腑に落ちないとして、心は繊細で「ちがう」というサインを出すらしい。
それをはっきりとした言葉で受け取れるか受け取れないかは、普段心の声が聞こえるか否かの違いになってくる。
心が訴えている。
「自分はこうありたい」とか、それかもっとわがままな気持ち。
「そんなのは嫌だ」とか。
言葉として心の声がはっきり聞こえなくても、「ちがう」というサインは出ている。
でも頭はそれを分からない。
頭がしっかりしてしまっている時ほど、頭は心を制しようとする。
そういう時に、否定の言葉が出てくる。
これは心の「ちがう」というサインへの攻撃なのかもね。
自分の心を自分自身が一番分かってあげる
このシリーズはこれが目標。
どれかの記事だけでも、一緒に考えてみてくださいね。
つづく