からかいは愛でもある
人をからかえることは愛情の表れでもある。
愛があるからちょっと茶化せる。いじれる。
でもそれは諸刃の剣でもある。
扱い方を間違えれば相手を人としてけなしてしまうだけになる。
たまに、純粋にモラハラですねみたいなからかいをしてしまう人がいる。
逆に、会話を盛り上げる上手なからかいができる人もいる。
今日はそれの違いについて少し考えてみたく、筆を執ることにした。
それを言われたら傷つくよ?
私は都会と比べると寒い場所に住んでいる。
そしてそのことをからかう人は絶対にいる。
寒い地域に住んでいることをからかうのは別にいいのだけど、からかい方によっては人をけなしているだけになったり相手を傷つけるおそれがある。
私の住む町に遊びに来た人が開口一番に、
「寒い。ここは人が住めない。人間の住む場所じゃない」
こう言われると私は不快だが伝わるだろうか。
しかもそれを言ってきたのが都会に住む人間だったら猶更。
だって、そこに住んでる人を敵に回してるし、そこに住むという私の意思決定を否定しにかかっていると解釈できるから。
人として見くびっていると思われても仕方ないと思う。
ちなみに、世界を見渡せばここよりも全然寒い地域もあるし、そこには人も住んでますが、あなたはそこの人たちを人間だと思ってないということで良いんですね?
とっさにそう言い返せるほど強くない自分が情けない。
正直言い方の問題もある。
明らかに茶化しのトーンで明るく言われたら笑い飛ばせる気はするが、
マジのトーンで言われた場合には、この人は本気でそう思っているのだなと受け取る。そして傷つく。
受け取り方の問題で済むのか?
さて、これを受けてこんな考えを持つ人もいる。
「それって受け取り方の問題でしょ?」
その通り。
その通りだが、もしそうなんだとしたら、「あなたはその相手との関係において全く責任を負わないと言い切るんですね?」と聞きたい。
誰かとのコミュニケーションにおいては、関わる以上はどちらにも責任(という言葉が適切かは分からないが)が生じるよね、というのが1つの考えとしてある。
相手が100悪くて自分が0、全く悪くないことはそうないということ。
相手がどんなに悪くたって99で、1はその相手をちゃんと理解できなかった自分が悪い。
なので、受け取り側が仮に99悪いとする。
私みたいにネガティヴで卑屈、感情が全然表に出ない、などなど、確かに私の人格に悪い面があるとする。
相手に舐められて「こいつならこんくらい言っても大丈夫だろう」と思わせているのは私のそういう人格のせいだから。
そりゃ私は悪い。
そうだとして、相手は1悪い。
言うのが悪い。
私を舐め腐った態度を取るのが悪い。
良質な剣を手に入れるために
ケンカを売るのはここまでにしておき、
こんなことを言われて傷ついてしまう自分を慰めてあげよう。
私だったら何て言われたら傷つかないか考えた。
「寒い。南極で働けるね。もしかして南極の研究基地で働いてる?」
個人差はあるにせよ、私はこのいじり方が好きだ。
これを言われたら笑うしかない。
後は、
「寒い。ロシアくらい寒いじゃん」
このくらいでもいい。
そしてこう答えたい。
「Спасибо(ありがとう)」
前者の「人間の住む場所じゃない」との違いは、「南極基地?」とか「ロシア?」とか言われる方がその人の可能性を広げるからかい方な気がすること。
その人の意思を別の捉え方をしてからかっている。
しかも本人の元の意思を否定はしない。
誰も敵に回していない。
ただただ別の角度から見ているだけ。
視点を変えるのに、わざわざ元のものを否定する必要はないという感じだ。
問題点は、私が好きないじり方は、考えないと出てこないことだ。
これがとっさに出てくる人がいたら本当に尊敬する。
そういう人になりたいものだ。