欲しい言葉じゃない時に心は処理できなくて戸惑う
心の声を聞くと、相手のコメントに対して「ちがう…」「そういう言葉が欲しいわけじゃない」と思う時は正直ある。
わがままだ。
こういう時問題解決を求めていないし共感を求めているわけでもない。
じゃあ何なのだろうか考えてみた。
領域で会話内容や目的が違う
私が人に話をするとき、目には見えないが複数領域がある。
コアな領域とその周辺の領域がある。
例えば「仕事でキャパを超えていてしんどいと思っている」悩みがあるとする。
これは私にとってはコアの領域の、直接的な悩みだ。
そしてその周辺の領域には、もう少し一般的な概念やコアの領域で起こっていることの影響が来る。
つまり「仕事でしんどい気分になる」や「仕事でしんどくて不安だ」とか「しんどい気持ちがあるから食欲がない」といった悩みが周辺の領域にくる。
ここで、コアの領域の直接的な悩みと言うのは、
当事者同士とか仕事の人間同士で解決するものだと思っているし
話すならあまりプライベートで関わる人に話したくない、ということになる。
仕事だから余計そう。
どういう仕事で、どういう件を取り扱っていて、そういう背景や経緯をしっかり分かっていないと、問題解決をするにも、いわゆる的確なアドバイスと言うのはもらいづらい。
仕事の現状や詳しい業務内容を知らない人に対してアドバイスを求めることは申し訳ないという感じ。
そしてあんまり仕事の具体的な状況を知らないのにアドバイスをされると「ちがう」と心が反応してしまう。
一方で周辺の領域については、プライベートで関わる人に言いたい話になる。
ある程度一般的であって人に伝わりやすい領域の話になるし、
共感しやすいレベル感ではあるし、
「食欲がない」に対しては「じゃあ今度おいしいものを食べに行こうよ」とか、問題解決をするにしても受け入れやすい。
「問題解決は求めていないけど、共感も求めていない」。
こんな複雑な状態は何なのだろうと思ったが、領域、という概念を導入することであらかた説明がつく。
問題解決と共感の単純な二元論には収まらないわけだ。
まずコアの領域で問題解決なのか共感なのか、という二元論になる。
これに関しては私は圧倒的に問題解決を求めるタイプだ。
仕事なら猶更。
それが仕事だから。
あまり共感はいらないかも。
そして周辺の領域で問題解決なのか共感なのかというと、これは正直どっちも求めることがある。
もう一つ大事なファクターが、先ほども「コアの領域の話はプライベートの関係の人にしたくない」というのがあったように、相手がコアの領域の当事者なのか、そうじゃない関係なのかだ。
つづく