共感したい人と問題解決をしたい人はぶつかる
人と付き合う時に起こる永遠の課題の1つ。
共感してほしいタイプと問題解決をしてほしいタイプは会話でぶつかる。
ところで、共感してほしいわけでも問題解決をしてほしいわけでもない時どうするのか?
仲間外れなのか? 仲介者なのか?
前回(1)は、私の中にある「領域」について話をした。
仕事や表向きの私がいる「コア」の領域と、プライベートの私がいる「周辺」の領域。
距離感的にコアの方が奥なのに、表向きの自分であってややこしいが、ここの「コア」というのは物理的な距離感というより、向き合っているものの重みとか緊急性で決まっているような気がする。
コアの領域は圧倒的に問題解決を求めていて、周辺の領域は実はそうでもないみたいな現象がある(私の中で)ことをお話しした。
さて、ここで別タイプの人の話をしよう。
その人は問題解決をしたい人間だ。
おそらく狩が得意なのだろう。
その人は、私の話を聞いたとき、具体的にどういう状況なのかとか、なるべく詳しく知りたがってくれる。
なぜか。
問題解決をしたいからだ。
それはありがたい。
ありがたいのだけど、時にそれは私の中で「コアな領域」の解決をしようとしてくれてしまっているように映るのだ。
私たちが同じ現場で同じような仕事をしているのならそれは自然だ。
だけど、そうじゃない環境で、その人がプライベートな領域にいる人間の場合、申し訳ないのだけれども、その人がコアな領域に来ることは「ちがう」と感じてしまう。
だから私はたまに、「何でそんなことを聞くの」と反発してしまっていた。
もしかしたらその人にとっては、私の領域で言う「周辺の領域の問題解決をしてあげたい」というだけだったのかもしれない。
だけど、その距離感はその人の尺度だった。
その場合に、私の中にあるボーダーラインを超えてしまうことがあった。
問題解決をしてくれているのが嫌なのではない。
だけど、距離感が違うと感じてしまうことがあった。
そこの領域の問題は自分で解決するからという気分。
「しんどいなら、じゃあ今度気分転換に一緒に散歩しようよ」そんなライトな問題解決でよかったのだ。
「しんどいのは、こういうことが足りてないってのは分かってるの? 分かっていて、それは相談したの?何でそうしないの?」
そういう解決の仕方は求めていなかった。
その人が解決しようとしている領域と私が解決したい領域は、もしかしたら一致はしていたのかもしれないけれど、伝え方とか言い方とかで、私にはコアな領域に踏み込んでいるように聞こえてしまっていただけだ。
むずかしいね。
どこにボーダーラインを引くかとか、そもそもコアと周辺の領域があるのかとかは、人によって違う。
私は心でとげとげしく「ちがう」と拗ねてしまうのを認めつつ、「とりあえずありがとう」と一旦は言わなければならないのかもしれない。
悲しいすれ違いだ。
でもここまで自分の「問題解決なのか共感なのか」を言語化できることって凄くない?
やっとわかったよ。
問題解決を求めているのでもないけど共感されたくもない、という変な気分をやっと説明できる。
それは自分の中に異なる領域があって、各領域に踏み込むか踏み込まないかにもよっているのだよ。
まとめる
人と話すときにはコアの領域と周辺の領域がある。
コアの領域であれば問題解決が欲しいけど、そこに入れるのは自分自身か仕事の関係者くらい。
周辺の領域ではあんまり問題解決は求めてなくて、家族、友人含めて多くの人が入って来られる。
そして自分が発する話の半分はコアの領域で半分は周辺の領域。
相手がどの関係の人かによってもどの領域で話をするのかが変わってくる。
どの領域で話すのかが変わるということは、求めている会話も変わるということ。
何でこんな複雑なの?
無意識?
言語化して読んでみたらまあまあ疲れたんだけど?
だから、初めましての人と話す時は領域の設定に困る。
あるいは元々仕事で関わりのある人がプライベートでも仲良くなるって時は、確かにグラデーションで領域が変化していってた気はする。
家族くらいじっくり時間をかけて育む関係なら、抽象的でふんわりした話をしたいんだろうね。
今タスクがこれだから解決して、という具体的でスピーディーな話題から、人生って何だろうかという抽象的で答えはなく、何回でもじっくり話せる話題へ。
いつもいつも100%「いや気持ちは聞いてないから今ある課題を解決して」という気分にはならなくて、「単純にこういう事実を分かってほしいだけ」な時は全然ある。
だからこそややこしいこともあるので次回以降それも考えてみたい。
「聞いてないのにアドバイスするのやめれる?」と感じる一方で「気持ち分かるって言うけど何が分かんの? 私でさえ自分の気持ち上手く言語化できないのに」と感じたり色々としてしまうこと。
つづく